下関がふぐの本場、
と呼ばれるには理由があります。
その理由をご紹介します。

豊臣秀吉による食禁令

文禄・慶長の役の折、兵士が下関で沢山取れるふくを内臓ごと盛んに食べたため集団食中毒死してしまいました。これに烈火のごとく怒った秀吉が「河豚食用禁止の令」のおふれを出しました。

伊藤博文による解禁

伊藤博文が下関の春帆桜を訪問した際、あいにくの時化のため魚が全く獲れず、女将が罰を覚悟でふく料理をだしたところ、その味を「一身よく百味も相をととのえ」と絶賛し、調理法さえ心がければこんなにうまいものを禁じることは無いとして、時の山口県令に対し「違警罪即決例」のふぐの条項を削除させるように働きかけたのが「ふく解禁令」です。

これにより山口県下で大っぴらにふくが食べられることになりました。

日本一の加工技術と流通ルート

下関がふくの本格的な産地としてその名をはせるようになったのは、昭和40年代前半、日韓漁業協定後、東シナ海、黄海でのふく漁獲量が飛躍的に増加したことを機としています。

ふくを満載した漁船団は、下関・南風泊市場に入港し荷を下ろす。歴史的由緒と共に、この地理的優位性が、下関をふくの一大集散地にしています。

是非、本場・下関のふぐを使って作り上げた寿美礼料理長自慢の一品の数々を、ぜひ、心行くまでご家庭でお楽しみくださいませ。